第7回「天使や聖人について」【神の法:第1部】

第7回目はセラフィム・スボロツコィ『神の法』の第1部より「天使や聖人について」翻訳していきます。第1部最後の回です!

第1部目次

セラフィム・スボロツコィ『神の法』の第1部の目次は以下の通りです。

 

第1回:「神さまについて〜三位一体と神の性質〜」

第2回:「祈りと罪」

第3回:「十字をかく〜十字の書き方やお辞儀の意味〜」

第4回:「いつどこでお祈りすればいいの?」

第5回:「聖堂と神父による祝福」

第6回:「イコンについて」

第7回:「天使や聖人について」

 

第1回は下のリンクよりご覧になれます。

troitsa.hateblo.jp

 

聖天使について

世界が存在していなかった頃、人という存在がなかった頃、はじめに神さまは聖天使たちを創造しました。

天使とは、肉体を持たず(目には見えない)、私たちの魂と同様、不死の魂をもつ霊体です。ただし、神さまは天使たちにより強い力と高い能力を与えました。知性は私たちのものより、より完全であり、神の意思を常に成し遂げることができます。また、無垢で、神さまの豊かなる恩寵によって善を行うことに揺るぎないので、罪を犯すことがそもそもありません。

神さまが、人々に自らの意思を語り伝えるとき、天使は私たちに見える姿、つまり人の形をとって私たちの前に何度も現れました。天使(Angel)とは、「知らせをもたらす人(使者)」という意味です。

神さまは、洗礼を受けるタイミングで、信者のひとりひとりに「守護天使」を贈ってくださいます。守護天使は目には見えない存在ですが、その者の地上での人生の間、不幸や災難から護り、罪から遠ざけ、死の瞬間はその者を庇護し、死のうちに取り残されないようにしてくれます。

イコンの中の天使は、その精神的な美しさを表す「美しい若者」の姿で描かれます。翼は神の意志を速やかに遂げるという意味を持ち合わせています。

 

聖人について

イコンには聖人または聖者とよばれる人が描かれています。私たちが彼らを「聖人」と呼ぶのは、聖人たちが地上での人生において特別敬虔な信仰生活を送り、神さまのお気に召した者だからです。*1 こうして今は、神さまとともに天にありながら、私たちのために神さまに祈り、地上に生きる私たちの手助けをしてくれます。

聖人たちには様々な尊称があり、「預言者」、「使徒」、「 致命者 ちめいしゃ 」、「 成聖者 せいせいしゃ 」、「 克肖者 こくしょうしゃ 」、「 廉施者 れんししゃ 」、「福者」、「義人」などがあります。

ひとつひとつ解説しましょう。

預言者聖神の訓戒により、主に救世主に関する預言を行った聖人で、救世主降臨以前に暮らしていた人たちです。

使徒:イイスス・ハリストスに最も近い弟子たちのことで、ハリストスが地上にいた間、説教のために派遣した人たちです。もっと詳しく言えば、聖神降臨の出来事の後(復活から50日後)、彼らは世界各地へキリスト信仰を伝道しにでかけました。使徒の数ははじめは12人でしたが、さらに70人にも及びました。

使徒のうち、ペトロとパウロの二人は「首座使徒*2」と呼ばれます。キリスト教の伝道に最も熱心だったと言われるからです。

福音書を書いた4人の使徒マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネは福音者と呼ばれます。

使徒と等しくハリストスへの信仰を各地で伝えた聖人たちを、「亜使徒と呼びます。亜使徒の例に、亜使徒携香女マリア(マグダラのマリア)、初致命女テクラ*3、亜使徒聖大帝コンスタンティヌスコンスタンティヌス1世)とエレナ(コンスタンティヌス1世の母)*4、亜使徒大公聖ウラジーミル*5ジョージアの亜使徒光照者ニノ*6など。(日本に正教を伝えた聖ニコライも、亜使徒とよばれてますね!)

致命者:イイスス・ハリストスへの信仰のために、辛い苦しみを受け、またはそれにより命を落とした聖人。*7

苦難を受けつつ、平穏のうちに眠りについた聖人を「表信者」と呼びます。

ハリストスへの信仰のために、初期に苦難を受けた者たちを「初致命者」と呼び、例えば、初致命者首輔祭聖ステファン(聖ステファノ)*8や初致命女テクラがそれに値します。

他の致命者が受けた苦しみより、さらに厳しく辛い苦痛を経て命を落とした聖人を「大致命者」と呼びます。聖大致命者ゲオルギイ*9や聖大致命女ワルワラ、聖大致命女エカテリーナなど。

表信者のうち、拷問者により御顔に誹謗を書かれた聖人を「начертанный(書かれた者)」(正教会での定訳分かりませんでした……。例に、8世紀のエルサレムの聖人、表信者フェオファンがいます。)

成聖者 せいせいしゃ :主教などの高位聖職者(主教、大主教、府主教、総主教)で、敬虔な信仰生活により神さまのお気に召した者で、ミラ・リキヤの大奇蹟者きせきしゃ聖ニコライ*10やモスクワ府主教聖アレクシイ*11など。

成聖者(つまり高位聖職者聖人)のうち、ハリストスのために苦難を受けた聖人を神品致命者 しんぴんちめいしゃ と呼びます。

成聖者である聖大ワシリイ、神学者グリゴリイ、金口イオアンは「聖師父」と呼ばれ、全キリスト教会の著述家(正統なキリスト教信仰を説く先生のような人)です。

克肖者 こくしょうしゃ :世俗を離れ、婚姻に縛られず、斎(断食など)と祈りの中に身を置き、隠遁生活や修道生活において神さまのお気に召した聖人。ラドネジの克肖者セルギイ、サロフの克肖者セラフィムアレクサンドリアの聖アナスタシアなど。

克肖者のうち、ハリストスのために苦難を受けた聖人を克肖致命者と呼びます。

廉施者 れんししゃ :無償で身近な者の病気の治療に尽くした者。つまり、報酬を受け取らずに肉体的、精神的な病気を癒やした聖人。例、聖コスマスと聖ダミアンや聖大致命者・廉施者パンテレイモンなど。

義人:敬虔で神さまのお気に召した信仰生活を送り、私たちと同じようにこの世で暮らしながら、(神の)親族となった者たち。例えば、マリアの両親である聖ヨアキムと聖アンナなど。

地上の初期の義人たちの中には、人類の先祖であるアダムやノア、アブラハムといった「族長」たちが含まれます。

 

イコンにおける「光輪」

イコンや絵画の中の救世主や生神女マリア、聖人たちの頭部に描かれている丸く明るい光の輪を光輪(ninbus)といいます。

救世主の光輪の中に、とぎどき3つのアルファベット「ὬΟΝ」が書かれています。これはギリシャ語で「真」を表し、常に存在するのはひとつの神だということを意味しています。

生神女マリアの頭の上には「ΜΡ ΘΓ」と同様にギリシャ語で書かれており、意味は「神の母」です。

光輪は、神さまの光と栄光の輝きを描いたもので、神さまとの共にある人たちを変容させます。

神さまの光の輝きは目に見えないものでありますが、ときどき他人の目にも見えることがありました。

例えば、聖預言者モーセは、お顔から出でた光で人々の目を眩まさないよう、自らの顔を覆う必要がありました。

同様に、克肖者セラフィムのお顔も、モトヴィロフ*12と「聖神の結びつき」について対話している間、お顔が太陽のように輝いていたと言われています。モトヴィロフ本人が、克肖者セラフィムのお顔を見ることができないほどだった、と書き残しています。

このように主は、この地上にいるときですら、聖人たちを自らの栄光の輝きで照らすのです。

 

(翻訳終わり)

第1部の全7回、ここまで読んで頂きありがとうございました。

今回は、人名がとても多く、個人的に疑問に思う点、読み手が疑問に思いそうな点にできるだけ多くの注釈を入れたかったのですが、途中力尽きて最低限の注釈のみとなってしまいました。

さて、私がまだキリスト教に関する知識がほとんどなかった頃、イエスの母マリアや12使徒はともかく、聖人と呼ばれる人たちがどうして信仰の対象になっているのか分かりませんでした(身近なキリスト教プロテスタント系だったので尚更)。だって聖書に書いていないんだもの!

そのうち、聖人たちの中でも、たとえばパンテレイモンは病気になったときに祈る聖人だとか、悪霊退散には聖ゲオルギーに祈るとか、それぞれの聖人が任意のシチュエーションで頼られているのだと知りました。なるほど、学業成就には太宰府天満宮菅原道真、恋愛成就には出雲大社、そういうことね!と日本文化と照らし合わせて勝手に納得したりしていました。

しかし、当時は根本的な考えが抜けていたのです。様々な分野を司どる聖人たちに祈るのではなく、その分野で秀でていた聖人たちを通して、ひとつの神さまに祈るという点です。神社ではあくまでも、学問の神さまとして祀られている菅原道真を拝むので、それぞれの神社で別の神さま(八百万の神々)に頼るわけです。

とはいえ、もとは普通の人間だったはずの人が聖なる人になったという点では少しだけ似ています。ただし、神社で祀られるということは、無念のうちに亡くなった人物の霊を鎮め、現世に災いをもたらさないよう、神社で祀るようになったというのが始まりです(神道には詳しくないので、間違っていたら申し訳ないです。神話由来など全部が全部当てはまっているとは思いません。)つまり、神聖なものになるまでの経緯が違いすぎます。

キリスト教の聖人たちは、生きている間に聖人に値する信仰深さを示した者で、クリスチャンの手本となるべき人たちです。そして、クリスチャンなら誰でも聖人になれる可能性を秘めいているのが正教会です。

正教では(ここではロシア正教会の例です)、調べてみると20世紀の聖人がびっくりするほどたくさんいます。有名どころではモスクワの福者マトローナという盲目の聖人がいます。ロシアではとても慕われている聖人で、1999年に列聖されました。どうやらカトリックでは、聖人と福者は分けて考えるみたいですが、正教では聖人と呼ばれています。だから、私たちだって21世紀の聖人になれる可能性が全く無いとは言えないわけです。

聖人という存在に、もともとは疑問を感じていた私ですが、今では日常の信仰生活の模範になる存在がいるということ、困ったときにより信仰面で優れた存在に神さまに祈ることを手伝ってもらえること、何より聖名を頂き常に私のために祈ってくれる守護聖人の存在は、とても力強く、生きていく上の勇気になります。もちろん、聖人の力を借りず、ひたむきに神に祈るのもいいことだと思います。しかし、私たち人間はとても弱い存在です。一人じゃ挫けそうだと思ったら、聖人たちの力を少しだけ借りてみてください。

 

また次回の更新がいつになるかは未定です。

もしかしたら、『神の法』とは関係ない内容の翻訳を紹介するかもしれません。

どうか、気長にお付き合いいただけると幸いです。

 

 

 

翻訳箇所原文

azbyka.ru

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*1:「お気に召した」と訳しましたが、原文は"угодили Богу"で直訳すると「神を満足させた」となります。ロシア語では、同様の語根を持つ語彙に"угодник"があり、訳は「神の僕、聖者」です。しかし、宗教用語の枠組みを離れると「ご機嫌取り」という意味になり、下僕=媚びる人といったまるでその行為に下心があるかのようなニュアンスが生まれます。同様に日本語でも、「気に入られる」、「満足させる」という表現は、「下心」などのネガティブなニュアンスや、「〜させる」といった使役動詞(高慢さがあるような…)であることから、この文脈で使うのは相応しくないように思えました。ロシア語では宗教用語に含まれることから、ネガティブなニュアンス(おそらく後づけ?)があっても文章として不足ないのでしょうが、日本語ではそうもいかないので、本来の意味を遠回しにした「お気に召す」という表現にしました。

*2:Первоверховные Апостолы

*3:初代教会の聖人で、聖使徒パウェルとともに宣教を行った。

*4:コンスタンティヌス1世はローマ帝国の皇帝として初めてキリスト教を信仰した。母のヘレナは、コンスタンティヌス1世の死後、キリスト教に改修し、残りの人生をキリスト教のために尽くした。

*5:988年にキリスト教を国教として受け入れたキエフ大公国の大公。

*6:4世紀のジョージアキリスト教を伝道した。

*7:一般的に殉教者ともいいますが、正教では致命者と呼びます。

*8:ユダヤギリシャ人(ヘレニスト)とヘブライ語を話すユダヤ人(ヘブライスト)の間の摩擦解消のため使徒たちによって選ばれた7人の一人で、後にユダヤ教批判でファリサイ派により石打ちの刑に処された。

*9:竜退治の伝説で有名だが、実際は4世紀にキリスト教徒の迫害により命を落とす。

*10:サンタクロースの起源となった聖人

*11:軽く調べても日本語の定訳が出てこなかったので直訳です。

*12:ニコライ・アレクサンドロヴィチ・モトヴィロフ(1809-1879):克肖者セラフィムの説教などをまとめた人物