第6回「イコンについて」【神の法:第1部】

第6回目はセラフィム・スボロツコィ『神の法』の第1部より「イコンについて」翻訳していきます。

第1部目次

セラフィム・スボロツコィ『神の法』の第1部の目次は以下の通りの予定です。

 

第1回:「神さまについて〜三位一体と神の性質〜」

第2回:「祈りと罪」

第3回:「十字をきる〜十字の切り方やお辞儀の意味〜」

第4回:「いつどこでお祈りすればいいの?」

第5回:「聖堂と神父による祝福」

第6回:「イコンについて」

第7回:「天使や聖人について」

 

第1回は下のリンクよりご覧になれます。

troitsa.hateblo.jp

 

イコンについて

聖堂の中ならイコノスタスや壁じゅうに、家の中なら正面の角に、私達がお祈りする「イコン」があります。

神や聖母、天使や聖人の姿を描いた像を「イコン」または「聖像」と呼びます。これらのイコンは必ず聖水で浄められ*1、成聖を通して聖神の豊かなる恩寵がイコンに伝わり、聖なるものとして敬われます。また、イコンの中には、奇蹟をおこすと信じられるものもあります。イコンが秘めた豊かなる神の恩寵が、実際に奇蹟として現れて、例を挙げるならば、病人を癒すことがあります。

教会の伝説によると、救世主ご自身が、自身の像を私達に与えてくださったのがイコンの始まりとされます。ある日、イイススが、顔を洗い、手ぬぐいでお顔を拭いたところ、その手ぬぐいに、いと清きそのお顔が素晴らしく写ったのです。*2この像は後に「自印聖像」という、人の手で描かれざる像という意味で呼ばれるようになりました。

さて、イコンの前でお祈りするとき、イコン自体が神様や神の使いなのではないということをしっかり理解しておく必要があります。イコンは、神様や聖人が描かれているものに過ぎません。そのため、私達はイコンに祈るのではなく、イコンに描かれている神や聖人に祈るのです。*3

神聖なるイコンは、聖書のような存在でもあります。聖書では神の言葉を敬って読むものですが、イコンは、神の言葉のように、神聖なお顔を見つめることによって、私達の理性を神様や聖人たちに向け、創造主や神様への愛に火をつけてくれる存在なのです。

 

イコンではどのように神様が描かれているの?

神様は、目に見えない霊ではありますが、聖人たちの前に目に見える形で現れてくださることがあります。そのため、イコンにおいて神様は、彼らの前に現れた実際のお姿で描かれます。

至聖三者(三位一体)は、テーブルを囲み腰掛けた3人の天使の姿で描かれます。なぜならば、かつて主は3人の天使の姿で、アブラハムの前に現れたからです。アブラハムに現れた3人の霊性を表すために、天使の羽と共に描いたのです。(解説3)

至聖三者を構成する3つのお顔は、それぞれ別のお顔で描かれます。

神父は、預言者たちの前に現れた姿である老人の姿で描かれます。

神子は、私達の救いのために天より降り、人として現れた姿で描かれます。例えば、生神女聖母マリア)の腕に抱かれたお姿、人々を導き奇蹟を行うお姿、顕栄、十字架での受難、埋葬、そして復活し、天に昇るお姿などです。

聖神は、例えば、ヨルダンで洗礼者イオアン(ヨハネ)により洗礼を受ける救世主の頭上に、鳩の姿で描かれています。もしくは、ちらちらと揺れる炎の姿で描かれることもあります。後者においては、イイスス・ハリストスの復活から50日後、聖使徒たちの上に目に見える姿で降っています。

旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。(使徒言行録2:1-3)

神様以外に描かれているのは誰?

神様以外には、生神女マリヤ(聖母マリア)や聖天使、聖人たちが描かれます。

ただし、彼らに祈るのは神様に祈るときとは少し違います。その聖なる人生を神様に認められた「神様に近しい人」として接するのです。彼らは、私達への愛のために、神様に私達のことを祈ってくださいます。だからこそ、聖人たちに、助け、そして庇護を求めましょう。神様は聖人たちを通して、私達の罪深い祈りをより速やかに聞いてくださるでしょう。

聖使徒ルカによって描かれたとされる生神女の聖像が、今でも残っています。*4言い伝えによると、ご自身の肖像画をご覧になった神の母は「私の子の豊かなる恵みが、このイコンとともにあることでしょう」とお話されたそうです。私達が、神の母マリヤに祈るのは、それは彼女が一番神様に近い存在であり、同時に私達にも近い存在だからです。彼女の母の愛、そして祈りによって、神様は多くの場面で私達を許し、助けてくださるでしょう。彼女は偉大で、慈しみ深い庇護者なのです。

聖使徒ルカが書いたとされる生神女のイコン「ウラジーミルの生神女

(翻訳終わり)

 

解説:イコンについて

翻訳した以下の2つの箇所について、少しだけ補足をいたします。

神や聖母、天使や聖人の姿を描いた像を「イコン」または「聖像」と呼びます。これらのイコンは必ず聖水で浄められ、成聖を通して聖神の豊かなる恩寵がイコンに伝わり、聖なるものとして敬われます。

この「必ず聖水で浄められ」という点ですが、聖堂に置かれているイコンはもちろん、成聖の工程を経たものがほとんどです。だからといって、教会で成聖されていないイコンが、聖なるものでないのかといえば、それはもちろん否。

イコン画家たちは、イコンを書くとき、背景、人物と描いて、最後にギリシャ語や教会スラヴ等で描かれた聖人の名前を書き入れます(略称で目立たないこともありますが)。この名称が書き込まれた時点で、そのイコンは聖なるものだとみなされます。そのため、それが手書きであろうと質の悪いプリントのイコンであろうと、完成された名称の入ったイコンは、全て神聖なもので、必ずしも教会での成聖の過程を必要としません。

そしてさらに言うと、

イコンは、神様や聖人が描かれているものに過ぎません。そのため、私達はイコンに祈るのではなく、イコンに描かれている神や聖人に祈るのです。

成聖されてようと無かろうと、私達はイコン自体に祈るのではなく、そこに描かれた神や聖人に祈るので、イコンの金銭的価値(肉筆or印刷)に、祈りの質が左右されるべきではないと思います。また、補足で、上文では「描かれているものにすぎない〜」とありますが、すでに上述したように、どんな素材でも、イコンは神聖なものです。ぞんざいに扱うのはもってのほかですが、それ自体が超自然的パワーを持ってると考えるのも行き過ぎた間違いです(奇蹟を起こすイコンというのは、そのイコンを介して祈るたくさんの敬虔な信者の存在があってこそです。)あくまでイコンはお祈りのための神聖な「媒介」だと解釈するのが分かりやすいのではないでしょうか。

ここまで解説したあとで、じゃあ「成聖」は何のため?と改めて思った方もいるかもしれません。成聖をすることで、教会を満たす「聖神」の恩寵が得られると考えられます。例えば、結婚式(婚配式)や洗礼の記念など、教会に関わる人生の節目の記念日に贈られるイコンは、教会で成聖してもらうといいと思います。

また、イコンそのものについても、肉筆か印刷にするか迷うこともあるかと思います。肉筆のほうが当然高価になりますが、その分大量生産とは違い、イコンを制作する過程において、イコン画家の祈りが一筆ごとに込められ、大切に大切に制作されます。出来上がったイコンも唯一無二です。大切に保管すれば、伝統的な手法(エッグテンペラなど)で書かれたイコンは数世紀経っても顔料の鮮やかさが褪せることはありません。とはいえ、こういった点に価値を見出すかどうかは、イコンを求める方次第です。

最も大切なのは、イコンそのものではなく、イコンを通して祈るあなた自身のありかただからです。

 

解説:至聖三者のイコンについて

本文では説明不足であった、至聖三者のイコンについて解説致します。

至聖三者(三位一体)は、テーブルを囲み腰掛けた3人の天使の姿で描かれます。なぜならば、かつて主は3人の天使の姿で、アブラハムの前に現れたからです。アブラハムに現れた3人の霊性を表すために、天使の羽と共に描いたのです。

出典:https://www.icon-art.info/masterpiece.php?mst_id=161

至聖三者を表すイコンとして最も有名なアンドレイ・ルブリョフ「至聖三者」(1411年頃)のイコンには、青年の姿をした三人の天使が描かれています。この一景は、創世記における以下の引用に由来します。

主はマレムの樫の木の所でアブラハムに現れた。暑い真昼に、アブラハムは天幕の入り口に座っていた。目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。(創世記18:1-2)

主が三人の青年の姿で現れたのを見て、アブラハムは恭しく迎え入れ、もっとも上等な食事を出して饗します。

この聖書のワンシーンを描いたイコンは、古代教会の時代から描かれるモチーフでした。ただし、イコンのタイトルは「至聖三者」ではなく「アブラハムの饗し」でした。現存する最も古いものは、ローマやラヴェンナカタコンベや教会堂に見られる2世紀から4世紀の壁画です。当時は、青年たちの頭上に光輪はなく、天使の翼も描かれていません。5世紀のローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂のモザイク画に描かれた図像にはすでに光輪が見られます。光輪と翼が描かれた天使の姿になったのは、8世紀のイコノクラスム(聖像破壊運動)の後で、ギリシャのパトモス島の聖ヨハネ修道院フレスコ画が例に挙げられます。一方で、このような聖像画がルーシに入ってきたのは11世紀のことです。

出典:https://foma.ru/vethozavetnaya-troitsa-ili-gostepriimstvo-avraama.html

11世紀キエフのソフィア修道院の壁画に描かれた「アブラハムの饗し」には、アブラハムとその妻サラが描かれ、テーブルの上には饗された料理が盛られた盃があります。背景にはマレムの樫の木も描かれているのがわかります。

一方で、旧約聖書の神様が3人の青年の姿で現れるというシンボリックなモチーフは、神の三位一体の性質を表していると古くから考えられていました。そこで、15世紀のロシアのイコン画アンドレイ・ルブリョフは、「アブラハムの饗し」をさらに神学的な解釈を強めたイコンに昇華させます。つまり、アブラハムとサラの姿はそこにはなく、マレムの樫の木は「生命の樹」に変わり、中央の天使が身にまとう衣は真紅と青で、救世主の衣と同じ色です。つまり、三人の天使は左から、神父、神子、神聖神を表すのです。こうして、1551年のモスクワ開催の百章会議で、「アブラハムの饗し」を描いたイコンは、ギリシャ古来のものも、ルブリョフのものも「至聖三者(スヴァタヤ・トロイツァ)」と呼ぶことになったのです。(ロシア国内の話)。ルブリョフの至聖三者の構図は、今では正教会では定番のものとなりました。

 

参考文献:

www.icon-art.info

www.icon-art.info

foma.ru

 

テーマが「イコン」ということもあり、本文に加えてかなり読み応えのある内容になったかと思います。興味がある分野だと、本文を訳しながら、次々と疑問が湧いてくるのです。これら全部の疑問を、注釈や解説に盛り込むことはできませんでしたが、それでも勉強になることがたくさんある良き内容でした。

 

次回は、最終回、「天使や聖人について」です!

更新は気まぐれです。よろしくおねがいします。

 

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troitsashop.square.site

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*1:成聖されていないイコンも、十分イコンの役割を果たします。詳しくは解説1

*2:もう少し詳しく!:重病であったエデッサ(現在のトルコの町、シャンルウルファ)の王アヴガルがイイススの噂を聞いて、画家をイイススの元に送って肖像を描いてくるよう命じた。しかし、画家はイイススが神の光で満ちていたため絵に描けなかった。そこでイイススはお顔を洗い、顔を拭った手ぬぐいにお顔を写すと、画家に持ち帰らせた。こうしてアヴガルの病は癒えたという。

*3:とはいえ、聖人のお顔が描かれているものをぞんざいに扱うのも間違えです。詳しくは解説2

*4:正確には聖使徒ルカが書いたイコンの「写し」であり、肉筆イコンが現存しているわけではありません。ルカが書いたとされる生神女のイコンは「ウラジーミルの生神女」と呼ばれ、ビザンチンからキエフ・ルーシに持ち込まれたもので、最も古いものでも12世紀の作品です。